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ぼくの好きなおじさん
ガキの頃から普通に歌は好きで、歌手のマネなどやっていたが、
中学になって人並みにギターを覚えて、バンドなど始めた。
初めてスタジオで音を合わせたのが、コードが2つしかない曲と、3つしかない曲の2曲だった。
ぼくはその2曲を必死に練習して、そのうち歌を歌うようになった。
子供が成長していく為にはヒーローが必要だが、ガキにはワルが必要だった。
その2曲はぼくをワルくさせたが、ガキを成長もさせた。
その先に待っているもっと複雑な音楽、もっと複雑な社会を見る事を教えてくれていた。
そのおじさんはテレビに出る様なタイプではなかったが、稀に出ると、必ず何かやらかしてくれた。
確信犯であるおじさんは、生放送の歌番組で大暴れしていた。
ぼくらは、茶の間で見慣れた只のテレビショーをワクワクしながら待ち、ドキドキしながらそれを観て、最後はサイコーにスカッとして、テレビの中のおじさんが叫ぶ言葉を心の中で一緒に叫んだ。
「ざまぁみやがれ!」
そんなおじさんも歳をとり、何時しかドラマや映画などに持ち前の、人のいい顔を出すようになった。
「丸くなってきたのかなぁ」と思ったら、ストレートな歌詞で政治批判や社会批判をして放送禁止になるし、国歌をパンクにアレンジして発売中止になるし…
だけど、おじさんの語りかける言葉は昔から一貫している。
LOVE&PEACEだ。
それ故に、それ以外のものに辛辣な言葉を浴びせていたのだと感じる。
ように、やっとなってきた。
やっとぼく、少し成長しましたか?
「まだまだ早いぜベイベー」
そうなのかも知れない。
まだまだぼくには、おじさんを理解するのは早過ぎる。
ちょうど今頃、おじさんとお別れをしているのだという。
実家の近くなので、行ってみようと昨日まで思っていた。
だけどやめた。
他の誰かも言ってたけど、ぼくはおじさんと別れるつもりはない。
これからも宜しくお願いします。
なのだ。
生まれて初めて覚えた2曲を弾いてみる。
歌ってみる。
今は芝居をやっていますが、音楽はいつでもそばにいます。
音楽と「つ・き・あ・い・た・い」と思っていましたが、今は「こんなんなっちゃった」
- [2009/05/09 15:01]
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こいつを

ベランダに掲げてみる。
兜飾りなども、狭い部屋に更に追い込みをかけている。
男としてのこういったアイテムを、初節句としてのこういった祝いの品を我が家に飾りつけたのは初めての事か。
と思う。
僕の記憶が定かでないのか、母親が聞いたら怒るかも知れないが、幼い時からこのての行事などには縁がない。
その為、これに近い諸々の祝い事には感慨などない質だったのだが…
息子の為のそれ等だと解りきっている。
いるのだが、男としての本質か、何か心騒ぐ。
やはり、こういう習慣や祭などが好きなのだ。
しかし、これはもう出していいのか。
5日に出すんじゃないんだな。
いつ仕舞うんだろう。
5日に仕舞うのかな。
5日に考えよう。
- [2009/04/24 14:39]
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こういう事だろ
久しぶりに泣いた。
というか、ボクシングの試合の後泣いたのは初めてか。
WBCフェザー級の世界戦
最終ラウンド終了と同時にマットに崩れ落ちて号泣なんて、なんてドラマチックなんだろう。
その後は、グジグジグジグジ泣いて観ているこっちは思わず笑った。
そして泣いてしまった。
粟生の動きは良かった。
スピード、そしてテクニックで完全にラリオスを上回っていた。
去年10月同じ王者にダウンを奪いながら判定で敗れた悔しさを叩きつけた。
粟生と同じ悔しさを味わった僕達の分まで。
そしてWBCバンタム級の世界戦
強すぎる。
1ラウンド2分37秒。
マンガのようだ。
しかし中々マンガのようにはいかないのだ。
それを現実で見せてしまうくらい今の長谷川は無敵だ。
ウェラポンを倒して挑戦権を獲得した、過去最強の世界1位という触れ込みの挑戦者。
長谷川苦手のサウスポーでリーチ差も19センチある。
最近の試合のようにはいかないのだろうなと、打ち合いを期待していた僕の予想を、天才は軽々と粉々にして見せた。
しかも完璧に。
そう、何度も言うが、完璧だった。
粟生で泣いて、長谷川で度肝を抜かれた。
声が出た。
最高のエンターテイメントだ。
いや、スポーツだ。
連続防衛について取り沙汰されると、王者は「強くなりたいだけ」と繰り返す。
バンタムに拘りはなく、王座を返上して階級を上げる事も示唆している。
ボクサーは強くなる事が一番。
試合は勝つ事が一番。
ボクシングに限らず、自分の試合を「作品」などと表現し始めると何だか様子がおかしくなってくる。
画家が自分の絵を「作品」などと言っただろうか。
画家にとって絵は絵。
我々にとっても映画は映画、芝居は芝居だ。
そこに自分が居れば、生きていればそれは成立する筈だ。
言葉や表現で装飾する必要があるだろうか。
話は逸れた。
長谷川と粟生が強いのは間違いない。
疑う余地は1ミリもない。
その強さの根っこは真面目さと謙虚さだ。
それは二人のコメントの端々から伝わってくる。
ジムの教育、環境が素晴らしく良いのだという事が強く感じられる
こうでなくてはならない。
ボクシングは街のチンピラでも出来るのだ、などという最悪なイメージを一瞬でも持たれてしまったのは非常に腹立たしい事だ。
傍若無人な振る舞いで相手に対する尊敬も礼儀もない、そんな輩がマスコミやカネの臭いに集まる虫たちに担がれて跋扈する世界では決してないのだ。
強ければいい。
強ければ後はどうでもいい。
というが、本当に強いのは誰か。
一目瞭然だ。
こういう事なのだ。
- [2009/03/13 20:20]
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