恵比寿駅 


早朝の恵比寿駅。

恵比寿駅

      誰も居ないと気持ちいい。
      でも、構内には結構沢山居たりする。

最近の僕の流れ。

冬の朝は苦手だけど、夏の朝は気持ちよい。
この気持ちよさも、秋に変わり失われていくのか…。

早く書き上げよう。

宮崎来訪 

次回公演「漆黒の系譜 delusion 」出演の宮崎重信君事務所来訪。

前回もそうだったのだが、彼は他の出演者よりいち早くチラシを取りに来る。
自分で配る分の他に、置いてくれそうな店を探したのだと云って、200枚ほど持っていく。
何でも地元の行きつけの飲み屋なのだそうだ。
「小さい店ですが…」
とは云うが、そりゃちょっとでも多くの場所に置いて貰えるのはありがたい事だ。

こちらも、それに応えるようなものにしなければならないな。
書きかけの本を彼に読ませると
「面白いですね」といつもの笑顔で云ってくれた。

その言葉に甘んじずベストを尽くしたい。
本だけではないのだ。
お楽しみはこれからだ。

台本大変 

うん。

大変。

順調に遅れています。
などと、ありきたりな冗談も云いたくないくらい。

でも、明日からもう平気です。
他の仕事も一段落する(予定)ので、ゆっくり徹夜でもしましょう。
てなカンジよ。

ドンとこい!

深夜作業 

今日は今月31日から9月3日までのR:MIX「魔王降臨」の小屋入りだった。
僕はこの舞台に殺陣師として参加している。

この芝居は表裏二つの演目を交互に上演するという構成だ。
出演者もスタッフもいつもの二倍の容量でそれなりに大変だ。

僕は、月曜日いつもの殺陣の稽古の後、新宿の劇場へ行く。
何となく舞台を見たが、特別やる事もなく2時間程で帰る。
仕込みスタッフは夜通し作業をするらしい。
ご苦労様です!

初日は31日だが音合わせや明かり合わせなど、きっかけの多い芝居だ。
丁寧にやっていって貰いたい。。

間接表現 

間接照明なんかはオシャレだったりするのだろうが、表現ってどうなんだろう?
日本人は何を考えているのか解らない、などと外人は言うのだろうが、何でもかんでもまっすぐに表現すればいいっていうもんじゃない。
日本人には「照れ」という独特の文化があるのだ。

間接的な表現で情緒的に。
などと気取るつもりはないが、どうもストレートに表現するのって恥ずかしくて、笑ってしまうのだ。

演出などでは遠回しな表現をしても仕方がないので、じゃんじゃん近道を教えるし、そいつが理解できる言葉やジャンルなど引っ張ってきて伝える。
スタッフとの打ち合わせも勿論だ。

しかし最後に客席向かってそれをするのが嫌なのだ。
勿論、ここぞという場面では真っ直ぐは投げ込む。
しかし、全部が全部。頭っからケツまで。というのが、どーしても駄目だ。

言わずもがな。
ダブルミーニング。

1mの幅を埋める為に、1mの刷毛で一度に一色で塗り潰すのではなく、10cmの刷毛を何本も使いながら、何色も使ってそれを埋めていきたい。

満員電車 

CMの撮影で目黒へ。
8時30分の地下鉄へ乗る。
普段乗らない時間だ。ぎゅうぎゅうだ。
何か面白かったが、最初だけだった。
毎日これはないなぁ。

で、仕事はちょい押しで始まったものの、予定内で終了した。
CMって簡単。と思ってはイケナイ、この現場だけか。

今回は露出はなしで、殺陣、じゃなくて所作指導のようなポジション。
ふわぁっと行って、ふわぁっと終わったようなお仕事でした。
何だそりゃ?

またお願いしたい。

m1

      撤収!


烏合の衆 

信頼関係の事について書いた。
それを築く為には時間が必要だ。
しかし時に、短時間でそれを築く事のできる人間に会う事がある。
なんと云うのか、柔軟というか、自分と考え方や価値観、こだわりなどが近いというのか、とにかくイイ感じのヤツが居るものなのだ。

それと対極にあるのが、ただ付き合いが長いだけで、最低限の規律も統一もなく寄り集まった者たちだ。
本来これは、付き合いの短い人間たちに当てはまるものだ。
それぞれの思惑である集団に集まってくる者たちに当てはまる。
ここで信頼関係を築く為には、やはり時間が必要だ。
そして、言葉が通じる者同士それを築いていける。通じなければ…
通じないという判断をすべきだ。
これで、人間関係の上に信頼関係を築いてゆけばいいと思う。

しかし、これを明確にせず、同じ場所にただずっと居た者たちは非常に厳しい。
付き合いが長い分、今更腹を割って話すという事に二の足を踏んでいる。
尊重しているんだか、言っても無駄と思っているんだか、良く判らない。
後者の方になっているのが大半なだけに根が深い。

新しく知り合った者にその事をぶちまける。
あいつは昔からそうだと…。

新しく知り合う者たちに繰り返しそれを云い続けてゆくのだろうか。
そこに孤独を感じるのは僕だけだろうか。

イメージ 

高校球児には熱さや清々しさなどが期待される。
それが見る側の高校野球というもののイメージになっているからだ。

だからちょっとワルさをしたくらいで出場停止や、辞退なんかをしなくてはいけなくなる。
まぁ、関係者にしてみれば「ちょっと」という事ではないのだろうが、傍からみれば…みたいな感じがある。
連帯責任。
関係ないヤツの責任もとらなければならない事も。

どの世界も、そのイメージを壊さないようにするのは大変な事であるが、今年の決勝に残った二校は見るものの期待を裏切らない闘いを展開した。
この二日間は当然の事だが、彼らのこれからの野球人生を思うと、途轍もない期待がこみ上げてくる。
日本全国もそれに注目してゆくだろう。
人の期待するイメージ通りに表現するという事は難しい事だ。

「小劇場」にはどんなイメージがあるのだろう?
ここで枚挙するのは控えるが、それはそれは、あらゆるイメージがあるのだろう。
昔から、「これは、こういうもんだ」というようなものが。

僕は、人が小劇場に期待するイメージ通りに表現してゆかなくてはならないのだろうか。
答えは、そう、NOだ。

多少進展 

この二日は夜、事務所で本を書いている。
少し進んだ。
ほんとに少しだ。
これで間に合うのかと思うくらいだ。
いや、間に合わせなければならないのだが。

稽古が始まっても本が上がっていない。
などと云う話は結構聞くが、どうもそれが出来ない。
怖いんですね、間に合わない事が。
出来るだけ早くあげようと思ってやってきたのだが、今回は二転三転頭が回らない。
こんな事は初めてです。

こういうカンジが書き上げた時、気持ちいいんだろうなぁ。
などと思うようにしてやっている。
今日も多少進んだし、オッケー、オッケー。

明日からまた稽古と並行です。
まぁ、いよいよって時になったら徹夜とかすればいいんでしょ。
くらいに思って、楽にいきましょう!

頑張れ僕!

台本抜粋 

書いている本の中からの抜粋です。

わたしは熊になれますか?
お前は熊になる必要はない。そのままでいい。

意味は解かりませんね。

チラシ

     本番をお楽しみに。



抽斗増加 

稽古終了後、今回の座組の人間に殺陣が面白くなってきたと言われた。
ま、面白くなるのは良い事で、そうならないと上手くもならないのは周知の事実だ。
殺陣初心者が殆どを占める出演者の中で、連日膨大な殺陣を付ける日々だ。

僕も大変だが、彼らはもっと大変。
嫌々だったら、もっと大変。

殺陣を演技の一つとして身体に取り込んでいないと、理屈で動けない。
何故こう動くのかが解からないのだ。
それは、何故ここでこの台詞を言うのか解からないのと同じだ。

しかし、身体を動かす事で頭一杯になって芝居どころではない。
初心者だもん、仕方のない事だ。

出来る人間、出来ない人間。
伝え方が一つでは追いつかない。
出演者分の伝え方が必要だ。
出来るだけ、その人に合った伝え方をする。
する様に心がける。

俳優はあらゆる表現力が必要だ。
あらゆる伝え方が必要だ。

基本十手 

殺陣の基本に基本十手なるものがある。

僕らが教わった当時は基本二十手だったものを、イベント用に十手に縮めたものが、その後浸透したものだ。
で、基本二十手を思い出してみる。
出てこないものだ。
元々左右対称でやっていたものを省略して十手にしたのだ、動きに変わりはない。

という事で、動きに変わりのある、新たな基本十手を考案した。
考案などというと偉そうだが、様は通常の基本十手にない動きを繋げて、無理やり十手に纏めたものだ。
改良の余地は勿論ある。

しかし、いい感じである。

信頼関係 

仕事をしていく上で非常に大切だ。
いや、人と付き合っていく上で。

直ぐにいい関係が築ける人もいるし、何年かかってもいまひとつという人も…。

集団の共同作業で流れが悪い方へ行きそうになった時、原因を究明して改善するために意見を言わなくてはならない事がある。
しかし、これはこいつから言った方がいい、という事がある。
キャリアがある人間が言ったほうがいいという事もあるだろうが、ここは「こいつとこいつの信頼関係で」となった方が巧く運ぶという事もあると思う。
と思って口を出さずにその提案だけを試みる。

しかし、信頼関係が出来ていると思っていた者たちは、単に付き合いが長いだけで、状況を良くしようと時に辛辣な言葉で意見を交換すると言ったような、青臭い事をする人間は数少ないのが現状だ。

そういうところが、ちょっと解らなかったりする。
真っ直ぐぶつかれば真っ直ぐ応えてくれる、という簡単な話ではないのだな。
他人事だと思ってはいけない。
いつか僕の周りでも起こるかも知れない事なのだ。
出来るだけ自力で防ごうとは思っているが。

いいわけ 

本に煮詰まって、環境を変えようと近所の図書館へ行く。
何となく書けそうかなと思ったのだが、静かなのは静かなのだが、隣に人はいるし、静かな中の気になる音を出す人が居たりで思うように集中はできない。

仕方がないので、そこらへんの本を読み散らかす。
が、二時間もすると冷房の寒さにやられてしまう。

という訳で、今日も本が進まなかった。
という、いいわけ。

ちゃんと書きましょう。

図書館
     図書館に愛車

核不拡散 

今年もこの時期がやってきた。
去年は戦後60年と節目の年であったようだが、この一年、世界の情勢に何か変わりがあったというのだろうか。
61年目の夏も変わらぬ願いが繰り返され、世界はその声を無視し続ける。
世界のリーダーを自認する保有国による核軍縮は進むどころか、新たな実用化研究を行い、同盟・友好国との理由を以って条約の未加盟国に核開発を容認しているし、またアジアのリーダーは自国に有事の際はいつでも核攻撃を行う用意があると公言している。

核拡散防止条約は核兵器の保有国を制限し、核軍縮を進める為の条約です。
けど実際は、あの戦争の戦勝国が永久に核兵器を独占して、世界の軍事覇権を掌握する為のものになってしまっている。

世界で唯一つの被爆国、日本が、ヒロシマが、ナガサキが、毎年、いや毎日どれだけ訴えてもこの国たちには届かない。

そもそもこの条約が、あの戦争の「悪の枢軸」日本とドイツの核武装を阻止するために提案されたからだ。
何時の世も、歴史は勝者が編纂するものなのか。

勝ちも負けも、戦争という行為に関しては誰もが悪だ。

則天去私 

昔、日本舞踊を少し習っていた時、先生に「前に経験のある人間ほど癖があって教えるのに厄介だ」というような意味合いの言葉を聞いた。
前に経験があれば呑み込みもいいだろうと思うのだが、下手に「経験があります」などと主張する者ほど可笑しな振りをする、というのだ。
「下手に」などというと、何か攻撃的な表現になるが、要は一色の表現に固執して新しいものを許容する事が出来ないと云うのだ。

確かに後輩に何かを教えなければいけなかった時期に「なるほど」と、師匠の云った事が解った。

そして今、劇団のような明確な後輩というものではなく、広く様々な人たちと関わっていく中で、それはより明確に僕の前に形を成し、うねりを上げて襲い掛かってくる。

僕はそれを全身で受け止め、理想的な共同作業を模索する。
しかし方向性が見えない場合は、時としてそれを真っ向から否定し叩き潰さなければならない。
単にイデオロギーの違いという事で我を張って争うという事ではなく、経験や思考に裏打ちされた表現で相手を納得させていかなくてはならない。
明確な先輩後輩の関係ではないという事が、キャリアの差だけで胡坐を掻いている人間では、直ぐに底を知られてしまうのだ。

そんな闘いはどこへ行っても臨むところなのだが、「それだけがやりたい」というのも、また厄介な奴の部類だ。

できない事を「できない」と言うのは、時として恥ずかしいと感じるのだろう、だけど「できる、できる」で演らせてみたら…
というのが、やっぱり一番カッコ悪りぃ。

できない事は「できない」と言います。
僕も。
できない事はやって貰っています。
ありがとう。

「できない」事を「やってみたい」と思う事は大事。
「悔しいから覚えたい」と思う事が。

まだ沢山あるでしょ?
はい。

母親誕生 

母の誕生日だ。

花を贈ることも物を贈ることもできなかったが、電話をした。
と、飲み屋で話したら「優しいのね」と言われた。

決して優しくはない。
毎年鹿児島に戻って、母親に顔を見せてやる事が優しいという事だ。

僕は優しい男ではない。

地元有利 

ホームタウン・デシジョンというものがある。

ホームでの試合は特別気合の入るものになるのは間違いない。
プロ野球やJリーグのように何試合もあるものは負けても負けても次があるが、それでも地元の試合は気合が入るし、ファンも盛り上がるだろう。
まぁ、あんまり負け過ぎると放送延長も打ち切られてしまうのだが。

年間何試合もできない格闘技になると、やはり開催国、地元での試合は選手にとっても観客の声援が大きな力になる事は間違いない。
選手はプレッシャーを感じながらも、その声に後押しされ普段以上の力を出し、相手に叩きつける。
そして勝利を掴む。
それがホームタウン・デシジョンというものだ。
そうであるべきだ。

地元だから手心を加えられる。
という事は勿論あってはならないし、たった一人にでも、そう思われてはいけないのだ。

不利な状況を覆す。
これは選手がやる事だ。
観客の声援によっていつも以上の力を出した選手がやる事なのだ。
他の誰も出来る事ではない。
やってはいけないのだ。

プロスポーツというものは興行だ。
利権も絡む。
色々な事が蠢く。
しかし、試合はリング上の拳たちのものだ。
勝敗は拳たちが知っている。

そして観客はその拳たちを見ている。
観客も勝敗を知っているのだ。

高校野球 

高校球児は爽やかだ。
清々しい。
というイメージがあるのだろう。

だから、ちょっとワルさをしただけでも出場停止になったりする。
まぁ、関係者にとってはちょっとどころではないのだろうが、引きで見ると…というカンジはする。

どの世界もイメージが先行していると、すべての人間を納得させる、その「枠」にはまる事は簡単ではないような気がする。
誰もが求める感動や清々しさを100%提供しなければならない為には、やはりその資質や実力が必要だ。
今年の決勝戦に残った二校はまさにそれを併せ持っていた。
「三連覇」「初優勝」というプレッシャーにも「イメージ」というプレッシャーにも打ち勝った純粋な実力だったと言えよう。

「小劇場」というと、どんなイメージがあるのだろう?
此処ではあえて枚挙しないが、沢山あると思う。
高校球児のそれとはやはり異なるものがあるのだろう。
それが好きだという人間も多い。それを文化だと言う人も。

しかし僕は、このイメージを持っているすべての人を納得させる「枠」にはまることはしたくないと思っている。
誰もが求めるイメージを100%提供する資質は僕にはない。

全身全霊 

今月末公演の芝居のため、高円寺の稽古場へ行く。
いよいよ僕の出番だ。
といっても出演ではない。
今回も殺陣師。
お仕事である。

出演者が多い。
ぎゅうぎゅうだ。
初めての人も勿論多い。
立ち回り未経験の人もいるのでしょう。
無理をさせず、怪我無くいきたい。
動ける人はぐるぐる動かす。

10月のウチの公演の出演者、スタッフもやっと出揃った。
これで迷い無く、止まってたホンに取り掛かれる。
掛け持ちだが乗り切るしかない。
ボーっとしてても時間は過ぎるのだ。
励め。