あまおうかっ! 

稽古場としてお借りしている教会のお母さんから色んな物を頂く。
そっと僕を呼び出して手渡してくれる。

みなさん、お母さんから頂きましたよ!

と言うと、恥ずかしそうに、そそくさと逃げてゆく。
可愛らしい人なのだ。

いちご

    今日はいちご
    こんなに!

ご好意でお借りしているのに誠に申し訳ない次第だ。

やはり日頃の行ないが良いと、人のやさしさに触れるものだなぁ…
これからも好感の持てる若者(中年!)と言われるよう励もう。

あまおう
    しかし、でかい!
    甘くておいしい!
    あまおうかっ!

咲いた 

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すっかり暖かくなって、うちのサクラも咲いた。
ここで『うちの』と呼んでいるのは
『うちのベランダから見える』という意味である。

何かが出来る 

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恵比寿のホームから、ふと見たところ。

何か出来つつある。

いつもは新宿で降りるのでこの場所で電車を待つ事はないのだが、今日は今から高円寺。
新宿から向かいのホームへ乗ればいい。

ちょっと違う所に立ったら、違う何かが見えた。
物事は一方向ばかりから見てはいけない。
色んな角度から見ていかないと…

何ができんだろ…

雨あがる 

稽古終わりに雨になるだろうと持っていった傘は仕事せず。

夜も遅くなってから降ってきた。
一晩中、風もビュウビュウいいながら酷かった。

パンフのデザインが終わったら雨はあがっていた。

朝恵比寿

相変わらず風は強いが…

帰ろう。
仕事の無くなった傘を持って。

今日も稽古だ。

今日のゴンタ 

近所の犬だ。

ゴンタ


   死んでいる訳では決してない

無防備な彼のその寝姿に癒されるのが日課になっている。
今日よりも手足の状態がひどい場合が常だ。

相当おじいさんなのだろうか、ワンという声を聞いた事がない。
いや、彼と称したが、彼女かも知れないし、名前も勿論僕の妄想なのだ。
こちらにあるように。

彼が何者であるのか。
何処から来て、何処へ行こうとしているのか。

人は全てを知りたがるが、全てを明らかにする事が全てではない。

息抜きではいけない 

久しぶりに日記を書く。

できた。 からバタバタと時間は動くものだ。
判っている、それはいい訳だ。
台本があそこで出来るのも言い訳で、その為に更新が滞るのもいい訳だ。
そう、判っている。

それは毎度の事なので、此方へ置いておく。

稽古が始まっている。
一週間くらい経っている。
読みを終えて立ちに入っている段階だ。

調子は、まぁいい感じだ。

で、今日は休みで衣装を探しに行った。
日暮里だ。
生地の町?
布の道?

日暮里 

   
   ちょっとしたテーマパーク
   凄ぇ安いし。

   


息抜きになったかな。

できた 

第4回公演の顔合わせが今日ある。
そこで台本とチラシを渡す。
大体いつもの流れだ。

そして、9日から読み合わせが始まる。

今できた。
今書き終わった。
間に合った。
よかった…

とりあえず、帰ろう。
風呂。
風呂糸。

文体って何? 

夜中によく3チャンネルを観る。
飲みながら、高校講座とか観たりするのも嫌いじゃない。
最近はそうもいかないが、本を書く手を止めて何故か何となく今点けた。

「わたしの授業」という番組。
中学1年生の国語の授業風景だった。

朝の出来事をそれぞれ日記形式に書かせて発表し、生徒たちのそれぞれの文体の違いを検証させていくというもの。
頭の方を観れなかったが、授業は 

「では、『文体』とは何か?」
というところになっていた。
各班ごとに意見を纏め、代表者が発表する。

最初の生徒。
文体とは「個性」だ。
人によって書き方の違うそれは書く人の個性が現れている。といったようなもの。
この発表に意見を募ってディベートしていくカタチだ。
概ねこの意見は一致している生徒も多かった。
面白かったのは次の班。

文体とは「心」だ。
書いた人の心が文体に乗って、文体自体に心がある。というもの。
個性とやや同じかと思っていると、個性と書いた班の生徒が質問する。

書く人間に心があるのは解るのだが、文体に心があるのだろうか?
文体そのものに心があるとしたら、読み手がどの様に解釈するのか、という心が生じて、こう読まれたいという心が新たに発生してしまうのではないか。
それは、「どう読んで貰っても構わない。これが私の個性だから」というものとは、違うのだと思う。という様なものだった。
中学1年生である。
いいぞ、と思って観ていると、次の班。

文体とは「魔法」だ。
書いている時は夢中になっているのだが、書き終わって読み返してみると、「自分が書いた文章とは思えない」これは、書いている時は魔法がかかっていて、書き終わって見てみると、まるで魔法がとけた様だ。というのだ。

子供らしいなぁ、などと初めは聞いていたがどれも頷ける。
特に夜中に書いたものを朝読み返してみると…
などと考えると、同志の言葉の様だ。

「心」に意見した生徒も「魔法」に置き換えたら、しっくりくるかもとなった。
他は女子の「言葉のオシャレ」などという意見もあった。

この後、初めの朝の出来事を文体を変えて書かせる。
いい授業だな、と思った。
羨ましくもあった。

ひとつ紹介する。

僕は
メガネをとるのではなく。
すもうをとるのではなく。
朝食をとった。

中学1年生である。