バカの系譜 

目の前にバカがいる。
今、僕の目の前に居る。
飲んで地下鉄を乗り過ごし、京王新線最終で帰る電車の中、目の前にバカがいる。

いつもはギリギリの最終に今日はちょっと間に合い、空いている車内に座ると、目の前に電話しているバカがいた。

「何やってんだお前」みたいな感じでジっと見ても、気付かないフリで話を続ける。
帽子を目深に被って目を合わせようとしないのだ。
くそ面白くもない話でバカ笑いをしている。
段々人が増えてきてもお構いなしだ。
どんなバカか写真を載せてやろうと思ったが、ここで撮るとこっちが変に思われる。
危ない危ない。
悔しい悔しい。

客が多くなってきても、というか多くなってきた方が誤魔化せるみたいな感じでバカは加速する。
一応声は小さくなってきたが何かその誤魔化し感が余計腹立つ。

腹立って本も頭に入ってかないので止めて日記を書く事にした。
なかなかPCが立ち上がらない…

その間にバカは電話終了。
その後はお決まりの寝たフリだ。
やっと立ち上がり書き始めるも、次は代田橋。
途中で切り上げだ。

僕は降りる。
バカは残る。

僕以外にも腹立ってるのはいる筈。
バカもそれは判ってる。
けど、これくらいは言ってこないだろう。
と、高をくくっているのだ。

いやバカはそういう事も判っていないのか。
判らないからバカなのか。
そうか、バカなのだ。

バカを相手にするとこっちが損する。

それが世の中を駄目にしているのに手を貸しているのかも。

注意するとトバッチリを喰う。
下手すると逆恨みで殺される。
これではバカが止まらない。

悪い事をしたら謝る。
償う事にしよう。

どう償おう。
幾らお金を払えば赦してくれよう。
僕の罪は幾らで贖えるのか…

命に代えようか。

しかし人の罪は命で贖えるのか?
この罪は、この命は、金銭に置き換えることが出来るのだろうか?

人が罪を償うのは、生きて、生き様で返す事しか出来ないのではないのか。

などと思う、酔って電車を乗り過ごした夜。

元少年 

1999年4月に、山口県光市で起きた母子殺害事件の差し戻し審の初公判が、広島高裁で開かれた。
差し戻し審では、最高裁が死刑回避に必要と指摘した「特に酌量すべき事情」の有無が争点になる。死刑ではなく無期懲役にするだけの事情が被告にあるのかという事である。
1審、2審ともに無期懲役を言い渡したが、最高裁は「2審が死刑を選択しなかったことに十分な理由はない」として広島高裁判決を破棄、審理を差し戻した。
検察側は改めて死刑を求刑し、弁護側は「殺意はなく傷害致死にとどまる」として死刑回避を主張していた。

遺族の旦那さんは「極刑以外にはない」として、メディアにも度々登場していた。
今回の差し戻し審で新たに極刑を求め闘っていく事になる。

しかし、もう8年だ。
被告の「元少年」も24歳になっている。
この男が何歳になるまで続くのだろう。

国民の法感情ではすぐに極刑だとなる意見も多いだろう。
21人を擁する大弁護団の主張は犯行時の被告人の責任能力に終始する。
弁護人曰く、犯行時の被告人の精神年齢は12歳程度であるというのだ。
また39条だ。
それに死刑制度廃止の大きな流れにも乗せていこうとしている感が否めない。

原告も経済的精神的な疲弊は計り知れない。
殺された妻子の名誉の為に、まさに身を粉にしているのだ。

時間がかかり過ぎる。
日本の裁判制度は見直さなければならない。
改正少年法、改正児童虐待法などが成立したが、裁判の短縮が急務だ。
勿論、時間をかけて調べなければならない事項もあるのだろうが、それにしても…である。

裁判員制も導入される。
国民の法感情が直接法廷に反映されてくる。
それに対して法のプロはどう対処するのか。
「そうですよねぇ…ちょっと待っててください」では時間がかかってしょうがない。
「これは、こう決まってますから」では国民が参加した意味が無い。

果実 

事務所の下に何かが生ってる。
実ってる。

果実

     ビワかっ!?


ビワなのか?


びわ?

     喰えるのかっ!?


喰っていいのか?

「悪を描く」を書く 

その事で始まったはずなのだが、話が変わってしまった。

藪原検校」を観たのだ。
'73年初演の井上ひさしの戯曲を2005年の「天保12年のシェイクスピア」に続いてコクーンで蜷川幸雄が演出した第二弾だ。
前作は観に行けずTVで観たが、秀逸だった。
本はもとよりだが音楽の宇崎竜童が素晴らしい。
これは演出のし甲斐があろう。
新感線もやる筈だ。

で、今回。
江戸中期、一人の盲人が検校という盲人の最高位へ上り詰める為に悪の限りを尽す。
人を騙しては殺し、人を殺しては金を奪う。
そして検校へ上り詰めた時、事が露見して吊るされて斬り刻まれる。
で、終わり。

悪を描く。

完全な悪を描く為には完全な正義を描かなくてはならない。
と思っていたが、そうでもない。
悪がそこにある。
だけだった。
そして浄化させる為には、悪が潰えなくてはならない。
その様があった。

何とか検校というと、勝新の不知火検校を思い出すがそれも同じ様な筋だった。

ピカレスク
と、いうんですか?

資料の細かさ、とうとうたる台詞の羅列。
面白い本だった。
そして楽曲も。
演出は…
いつもの感じ。
ですか?

仕事が多いのはいい。
羨ましいくらいだ。
って言うか、世界の○○○○だ!
敵う事も比べる事もない。
しかし。
一本一本集中出来るのかな?
出来るなら凄いと思うけど、もっと間隔を空けた方が一本一本に思いを注げると思うけどなぁ。

悪を描く。

ある意味、悪を描いていたのかも知れない。

怖ぇ。

悪を描く 

正義と悪は背中合わせ
とか
おまえの正義はあいつの悪
とか

正義と悪の境はどこにあるのだ。
などという芝居など腐るほどだ。
つい先月もどっかの、未だにアクション劇団と称される作家が悪あがきな正義を上演した。

完全な悪を描こうとすると、完全な正義を描かなくてはならない。

そこで止まってしまう。

正義と悪の対立でどちらかが勝利し何らかの答えを出す。
それで観る者は浄化する。
のか?
共感するのか?
そう、共感という事が大事なのか?
共感しなければ正しくはないのか?
正しいとは何だ?
人間の正しい行いとは何だ?

説教臭い。
嫌になる。

説教臭くしたくはなかった。
だけど一方向からの気持ちを押し付けたくなかった。
それで共感して欲しいとは思わなかった。

あの芝居を書いたのは色んな背景があった。
背景というか、単にその時に見たものが引っ掛かっていたのだ。
それこそ、共感できるものとできないものとが。
漠然とだがこんな事も書いていた。
その後にも様々な事が起きた。
殆んど僕の遠くでだ。
僕に関係のない所でだ。
多くの人がそう思うだろう、遠くて関係のない話だと。
だけど違うんです。
遠い、向こう側の話かもしれないけど、僕には関係があるんです。
勝手にだけど、そう思ってしまうんです。

ぐったり 

咳が出て腹筋が鍛えられていいのだが、喉が痛いのが嫌な感じだ。
まぁ風邪な訳だし体力が落ちるのも嫌な感じだ。
しかし食欲は落ちない。
結構喰うのだ。

前回の芝居のDVDの編集は続いている。
毎度毎度苦しいが、楽しい作業だ。

そう、苦しいが楽しいのだ。
苦しくは無いのだ。

僕がぐったりしているのは前述の事ではない。

事実は小説よりも奇なりとバイロンは云ったが「奇なり」などというものではない。
ここ数日の「事実」という「出来事」はなんだ。
まるで悪意が、殺意が競い合うよう様に国内外を疾走している。

創作が事実に敵わない。
創作者としてそれを嘆いているのではない。

人間としてぐったりしているんだ。

多事争論 

油断していた。
風邪で体が痛くなっっちゃって布団被って汗出して、3回着替えたが喉だけ残った。
ここんとこ、ぼんやりしてたのはこういう事だった。
薄々感付いてはいたが情けない話だ。

昔は「病気すんのはしょうがねぇじゃん、治しゃあいいんだろ」という性質だったが、この仕事は何時、何があるか解らない。
風邪はひかない様にしなくちゃいけない。
ひいたら直ぐに治さなくちゃいけない。

病気になる前に予防しなくちゃいけないのだ。

で、いつものテレビ。

今日は予定を変更して、「多事争論」からです。

と、した後「がんを生きぬく」というフリップの後ろでキャスターは自らのがんを告白した。

この番組では、がん対策基本法の施行を契機に「がんを生きぬく」というシリーズが始まっていた。
既存とは違う角度からがんを取り上げ、掘り下げていたのを興味深くみていた。
国民の2人に1人はがんにかかり、そしてやっかいな病であるが、決して勝てない病ではないと伝えていた。

ジャーナリズムは真実を探求し、事実をありのままに報道する。
のだと思う。
キャスターは自分という媒体ががんを克服し、再びあの席へ戻ってくる一部始終を、自分の内と外から取材し報告できる立場を授かった。

ジャーナリスト魂をみせてもらいたい。

暑いんだか寒いんだか 

季節の変わり目は…

布団剥いだり被ったりうまくいきませんな。
被ると汗かいちゃって、剥ぐと汗が冷えちゃって。

寝てて忙しいもんだから、起きてるとぼんやりしちゃって…

もう帰っちゃおう。

仲間たち 

毎年5月には大和へ行く。
友達の命日だ。
墓参りの後、お宅へお邪魔してご馳走になって、泊まってしまう。
気が付けば毎年恒例だ。

満六年。
今年は七回忌。
法事である。

こいつと知り合ったのは約20年前。
歳は僕の二つ下だが同期である。
この年は年齢はバラバラだが、男も女も同期が多い。
俳優を続けている者も多い。
勿論、此処で云う俳優とはメジャーではない、という事にはなるが。

命日は17日。
週末ならば、ではあるが、平日では墓に来れる人間も限られる。
来れなくても「今日はこの日だな」と連絡を取り合って各地で飲んでいる。
そういう奴だ。
そういう事をさせる奴だ。

諸々の関係上、法事はこの日、5月3日となった。
先輩後輩含め、昔の仲間が大勢集まった。
当時の話で盛り上がる。
故人のバカ話でもっと盛り上がる。

そんな中、初対面同士という人たちがいる。
僕は知っていると思っていたら、微妙に時期がずれていて名前は聞いた事はあるが会うのは初めてだと言う。
まるっきり名前も知らないという人たちも。

不思議な感じがした。
死んだ人間が会わせた。

そう云えば、こいつと現場が一緒だったのも3、4年といったところか。
今日集まった中にも、よく考えれば2年だ、2年半だった、という会話になる。
そんなもんだっけ?
となる。

濃かったんだな。
僕たちは濃かったんだ。

平日ではないから来れなかった者も大勢居る。
遠方という事もある。
しかし彼らは、今日ここで飲んでいる事を知っている。
色んな人たちが来て飲んでいる事を。
そんな話にもなる。

「あいつは何してる?」
「いたなぁ、そんな奴!」
(爆)

手ぇ叩いて大笑いしてる。

こいつが会わせた昔の仲間たちは、今の仲間になった。