吉田松陰を想う 

地方自治体での知事が関与する談合事件が続発したり、
政府主催のタウンミーティングやらせ質問があったり、
終いには高校生が学校で飛び降りた報告を受けたその日に教育委員が歓送迎会と称して大酒を喰らっていたりと…
他人が遊んでいる時に、必死に勉強してその地位まで登りつめたのであろう人々とは思えないほど、学の無い僕の様な人間に簡単につっこまれるような醜態を晒すエライ人たちがテンコ盛りだ。

政治家にとっての初心とは選挙で選ばれた時の民意だ。
一連の不祥事が事実なら知事は民意に背き、選挙時の熱意や志を忘れたのではないか。

これは全国知事会に出席した安部首相のお灸だ。
首相はまた、尊敬する吉田松陰の言葉も引用し再発防止に全力を挙げるよう求めた。

「士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しと為す」

過ちがないことを重んじるのではなく、過ちを改めることを重んじる。
という意味だ。
信頼回復の為にこれからどう変わっていくのか。頑張ってね。
といったところだろうか。

人は誰でもやり直せる。
これからに期待する。
いい言葉だ。
僕も好きだ。

しかし「造反組」の復党願の期限が迫った今日では、来年の参院選票集め必須アイテムとしての、本件の当事者たちに向けたメッセージのようにとれなくもない。

志を貫くには力が必要だ。
やりたい事を続けていく為には金も必要だ。組織も。
それは解かっているのだが、全てに折り合いをつけるのは…
やはり難しい。
甘い理想を書き連ねるつもりはないが、志の方に金も組織も引っ張られて欲しいと思う。

何の為に学問をするのか。
学者になるのではないのなら、学んだ事をどう実行するかが問題だ。

高杉晋作が「男子が死ぬべきところはどこか」と師に問うた。
師曰く

死は好むものでもなく、また、憎むべきものでもない。
世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。
死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなす見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。
つまり小生の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、何かを成し遂げる心構えこそ大切なのだ。

僕は想う。

魂の無い人間は、命が無いのと同じだ。
命は無くなっても、魂は残る。

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