心の中にある悪意 

私の頭の中の消しゴム
じゃなかった。
僕の心の中の悪意、いや人の心の中のそれを考える毎日だ。

当局の人間もみている可能性もあるので断っておくが、犯罪を計画している訳では決してない。
ホントです。

10月の芝居で漠然と悪意を描くという事へ引きずられていった感があるのだが、前回は明確な悪を描くつもりで本を書き始めたのだが、進むにつれてそれがぼやけていった。
明確な悪意を描く為には明確な正義を描かなくてはならない。
しかし10月に僕が表現したものには、明確なそれが無かった。
明確なそれ達が無かった。
人を騙したり、殺したりする事は悪い事だ。
演劇上そういう表現もし、そういう役も出てくる。
しかし行動は考えた後に起こすものだ。
衝動的という事もあるかもしれないが、衝動的というメカニズムも心の中にある筈だ。

この芝居では、その明確でない善悪というものがそのままテーマになった。
やりきった感はないが、それなりに評価も頂いた。
これはこれでいい。
で、次だ。

僕が描きたいのは動くという事ではなく、抱くという事だ。
悪意を抱く人間のプロセスを描いた先に行動はついてくる。
行動だけを起こそうとする人間を描くという事とは対極にある筈なのだ。

精神分析は無意識を明らかにする心理療法だ。
抑圧された無意識を意識化する事で心の治療をする。
無意識の中を意識的に見ようというものだ。

中と外。裏と表。善と悪。片方を知るためにはもう片方。
僕の中で明確な悪意を定義できなかったのは、僕の中に明確な正義が存在しないという事なのだ。

僕の心の中の悪意を考える毎日だ。
それは、僕の心の中に僅かにあるであろう正義を考えるという事なのだ。

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